こんにちは。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は最近家の外から出ることも少なくなってしまいました。
今日久々に部屋の空気を入れ替えようとすべての窓を開け放っていましたところ、どこから飛んできたのかモンシロチョウが部屋に入ってきました。
まだ2月だというのに、この陽気で春と勘違いしてしまったのでしょうか。
そっと部屋の外に逃がしてやりました。モンシロチョウが空の雲と同化するのをじっと見つめながら、幼いころに感じた「春の音」を思い出しました。
私が生まれ育った岐阜県東濃の山間の地域には、コンビニはおろか自動販売機すらありませんでした。コンビニ行きたければ親に車を出してもらうしかなく、子供の頃はある種のテーマパークに行くような気分でした。
よく日本の貧困化が止まらないといわれますが、私が幼少期だった20年前と比べれば、今はずいぶん便利になり、生活も豊かになったような気がします。今では実家の近く(それでも車は必須ですが)にコンビニもできましたし、自動販売機も10分も歩けばあります。地元の今の子供のほうが、ずいぶんといい暮らしをしているように感じてしまうのは、年を重ねたからでしょうかね(まだ20代ですが…)。
さてさて、話がそれました。
子供の頃、私の遊び相手といえばもっぱら自然でした。
今では恐ろしくて信じてもらえないかもしれませんが、私が保育園に通っていた時は、田んぼの畦道に友達と入って蛇を捕まえてハンマー投げのように投げて遊んだり、川で石合戦といって石を投げあって遊んだりしたものです。(石合戦はそのうち禁止になりましたが)
20年前といえば都市部ではテレビゲームだったりなんだったりいろいろな娯楽があったものですが、私の育った地域ではまだまだ自然との遊びが主流でした。
あの頃は冬になると雪がすごく降っていて、雪合戦だったり雪だるまだったりかまくらだったり、さまざまな遊びをしていたことを思い出します。そんな雪が解け始めるのがちょうどいまくらいの時期でした。
私の亡き母は、幼い私をよく散歩に連れて行ってくれました。
その道すがら、道中に生えている「フキノトウ」や「ツクシ」をよくとったものです。
今では他人の土地に生えている山菜を勝手にとることは禁止ですが、昔は今以上にご近所付き合いが(過剰ともいえるくらい)活発だったので、ご近所さんの田んぼの畦道や空き地に生えている山菜たちをたくさん採取しては分け合ってといった生活を送っていたものです。
幼い私は山菜を食べるのは嫌いでしたが、山菜を採るのは大好きでした。
特に生えかけて半分土の中に埋まっているフキノトウは、大人にとっては美味らしく、家の近くで採ってくると両親やご近所さんは喜んでくれました。それがうれしくて採りに行っていたのを思い出します。
いつごろからか、私の地元にもようやく都市の文化が流れ込んできて、ご近所付き合いもかつてほど濃厚なものではなくなっていきました。
ご近所さん総出で「ワラビ」を採っていた空き地も、知らないうちに重機が入って整備されていきました。「フキノトウ」が生えていたあのボタ道は、今どうなっているのだろうか。
モンシロチョウを眺めながら、ぼーっと昔のことを思い出していると、不意にこのことを何かに記しておかなければいけないと思い立ちました。
誰が読んでくれているのかわからない。いや、だれにも読まれなくてもかまわない。
今の今まで忘れていた自分の思い出の一つを、モンシロチョウが運んできた思い出の風を、こうして記録することで自分に子供ができた時に、もう一度思い返すことができるかもしれない。
今回はそんな僕の回顧録。
ここまで読んでくださりありがとうございます!