美濃んちゅの酒場

岐阜を愛する若者が、様々なことを調べたり調べなかったりするブログです。ローカルネタから真面目なネタまでジャンルはゆるめです😁✨✨覗いてみてください。

仁星のシュウに憧れて

仁星のシュウ。

南斗六聖拳の一人でケンシロウの命の恩人でもある。

あ、今北斗の拳の話をしています。

弱者を守り、未来への光を繋ぐために自らの光を失った。そんなシュウに憧れて、かつての僕は弱者を守るために戦った。

時には募金箱にバイト代を突っ込んだり、金のない友人を町に連れ出し奢りで酒を飲んだり、ナンパされて困っている友人をさりげなく助けたり、色々なことをした。

だけど、気付いた。

これは別に人助けでもなんでもない。

ただの自己満足だと。

 

本当の意味での人助けとは何か。

私はその答えを北斗の拳に求めた。

北斗の拳を読み直し、私が見いだした答え、それは…愛。

 

シュウもレイもシンもサウザーも、あの熱い漢たちを突き動かしていたものは愛だった。

愛する人のために悪役となったシン、愛するもののために命をなげうったレイやシュウ。愛のために悶え苦しみ、愛を捨てきれなかったサウザーも。愛こそが彼らの源だった。

 

私が本気で人を助けるためには、愛が必要だった。自己愛ではなく、他者への愛が。

過去に行っていた募金、飲み、ナンパの回避、これらは結局自己陶酔であり、真の愛ではなかった。

 

それに気付いた僕は、他人を愛することを決意した。それからの人生は薔薇色だった。

 

彼女もでき、仕事もうまくいき、太った点を除けば人生薔薇色カーニバル。

だった。

そう、あのときまでは…。

【使えない院卒】という言葉はもうやめよう

4月になると、どこの企業や自治体でも新人さんが配属され、新しい社会生活をスタートさせる。

最近は様々な採用方法が社会的にも認められてはきているが、依然新卒一括採用がメインである。

新卒一括採用といっても、新卒にもいくつか種類がある。

  • 高校卒業
  • 専門学校卒業
  • 短大卒業
  • 大学学部卒業
  • 大学院卒業

思いついただけでもこれだけある。

就職活動というと、どうしても大学学部卒以上がメインで話が進んでいくし、そのようなイメージが先行してしまうのは自身の就職活動がやはり学部時代だったからかもしれないし、この記事でも学部卒と院卒の話がメインになっている。

さて、多くの企業の採用条件をみると大学学部卒と大学院卒で初任給に差を設けていることが多い。もっと言えば、同じ院卒でも修士課程と博士課程で給与に差をつけている企業もある。

大学院卒は、学部卒よりも最短で2年学問の世界に浸かっているわけであり、給与が高いのも専門知識のレベルが学部卒よりも高いことが想定されるためであろう。これ自体は誰しもが納得する理由だ。

しかし、毎年5月くらいになるとどこの企業でも聞こえてくるワードが存在する。それが「院卒なのに使えない」というワードだ。

実際私の後輩にも使えない院卒がいるが、当然使えない学部卒も存在するし、自治体だと「大卒のくせにあいつは使えない」というワードも存在する。しかしなぜか、「使えない院卒」というものが世間では目立ってしまう。

いったいなぜか。

これにはいくつか理由がある。

 

1つは新卒一括採用が大学学部卒を主流としているため。

学部卒と院卒でははっきりいって母数が違う。特に文系では大学院に進む人間は残念ながら少数である。実際「院卒は使えない」というワードが飛び交う部門は、大概が事務や営業などの文系出身者が多く配属される場所が多い。学部卒が多い環境では、どうしても院卒が目立ってしまう。

 

2つめは周囲の期待とのミスマッチング。

大学院にいった人は学部で終わった学士よりも多く勉強していたから、きっと仕事もうまくできるはず!

このような期待を院卒の方に持っている人がかなりいる。ただ、当然ながら自分自身が専攻していた分野においてはかなりの専門性があっても、関係ない部門に配属されたらはっきりいって学部卒とスタート位置は同じである。

歴史学を専攻していた院生が生命保険の営業部門に配属された場合、経営学を専攻していた同じ部門の学部卒より仕事が出来るかと言われると、本人の営業能力が高ければ別だが、スタートラインにたった段階で院卒の方が仕事ができるとは限らない。

それなのに、院卒という理由だけで、仕事ができるという期待を無条件で彼らに付与してしまっている。

 

結局「仕事ができない院卒」というワードは、仕事ができない院卒本人に問題があるというよりも、周囲の環境が原因であることが多い。

院卒者本人のプライドが高く、使いにくいという理由もあるかもしれないが、はっきりいってそれは個人の問題であり、院卒全体の話ではない。

院卒だろうと学部卒だろうと、仕事ができる人もいればできない人もいる。院卒という一くくりにした評価はもうやめにしよう。

ちなみに私個人は同期が半分以上院卒だった学部卒。みんな気楽に社会人生活送ろうぜ。

 

実家への挨拶の愚痴

日記がわりに記載。
ほとんど愚痴。

本日、我が実家へ婚約者を連れて結婚の挨拶に出向いた。

田舎独特の長男墓守信仰や、密接すぎる地域社会、そして過干渉すぎる家族に嫌気がさして逃げるように家を出た私が、結婚を決めた相手を家に連れていくのは個人的にはあまり乗り気ではなかった。

 

結婚の挨拶も正直彼女の家だけでいいとさえ思っていた。田舎になんて挨拶いく必要ない。そう考えていた。

しかしながら、彼女の説得に屈した私は、嫌々ながらも今日実家へと出向いたのだ。

 

結果は無事結婚の了承を得た。

了承するしか家族にはとるべき行動はなかっただろう。たとえ反対したとしたら、私が二度と実家の敷居を跨ぐことはないことを恐らくは感じていたかもしれない。

そもそも結婚に反対する論理的理由が家族にはないし、結婚の条件にしても反対する理由はない。当然彼女の人柄もあった。彼女は私には勿体ないほどの女性だ。彼女のおかげもあり、なんとか平穏無事に挨拶は終了した。

 

思えば実家にいた時には、感情論を振りかざす家族には手を焼いた。

論理的に見れば矛盾しているその感情論も、田舎独特の共同体意識によって近所・親族から共感を取得し、結果として私の行動を制限した。

実家から出たとき、初めて私は自由を手に入れた。騙し討ちのような形で引っ越した訳だが、正直後悔は1mmもしていない。

あのまま実家にいたら、私の精神は磨り減り、彼女とは別れることになっていたかもしれない。

 

結論として、今日まで私にとって実家とは帰るべき場所ではなく、檻のような場所であった。閉鎖的なコミュニティに私を閉じ込める憎むべき象徴であった。

 

だが、結婚が正式に決まった瞬間、檻は檻でなくなった。少なくとも、私は人生で初めて、己の自由意思のもと下した決断を家族に認めさせたのだ。

 

高校も、大学も、就職も、家族から受ける制約の元で選択肢を迫られて生きてきた私が、結婚という新たなステージに進むに辺り、(行動に多少強引さがあったのは否めないが)自らの意思のもと下した決断を認めさせたのは、大きな意味がある。

 

今日立ち会ってくれた家族や親族は祝ってくれていると信じたい。少なくとも私が実家にいたときから、愚痴を聞いてくれたり、引っ越し(逃亡)の力になってくれた親族には礼を言いたい。ありがとう。しかし、我が田舎の家族・親族等の中には素直に祝福しない者も少数ながらいるかもしれない。

が、それはそれでいい。万人から喜ばれるような生き方はしていないから自業自得だ。

 

ただ、そんな連中の内心はどうあれ、結婚が決まった以上彼女も親族となるわけで、彼女の親族とも親族となる。

その際にはせめて、私や彼女に恥をかかせないでくれることを願ってやまない。

春風に 言葉を飛ばして 絵を描く

春は脳みそがポカポカいい感じに温まって、あらゆる妄想が脳内で言語化され、青い空に紡ぎ出されて絵を描く。

 

雲を見上げて、「ああ、いい天気だ。こんな日はお酒を飲んで芝生に横になりたいな」と思うと、不思議なことに雲が麦酒のジョッキに見えてくる。

 

そのジョッキの横で、白い犬が走っているようにも見えてくる。そしてその白い犬が次第に大きなボールになるなど、妄想が新たな妄想を掻き立て、ただの青空が巨大な美術館に思えてくる。

 

雲が先か、妄想が先か。

それはよくわからない。

でもこんな春のちょっとした隙間時間に眺める空と吹き交う風が、最高に気持ちいい。

 

片付けができない僕

昨日彼女と喧嘩しました。

内容はタイトル通り。

僕は昔から片付けができない。

デスクの中もぐちゃぐちゃだ。

 

小学校の頃にはあまりのぐちゃぐちゃ加減に業を煮やした担任の先生により、僕の机の引き出しをきれいに整頓する係りが正式にクラスの係りにされるほど、僕は整理整頓が大の苦手だった。

 

一方彼女は超がつくほどのきれい好き。

僕が床や机に物を出していると問答無用で攻撃してくる。対話を求めては交渉決裂。それを何度も繰り返していく中で、とうとう彼女から恐ろしい法案が出された。

 

その法案の名は「所得物定住法」。

端的に言えば、【部屋にある所得物の住所(置場所)を定め、原則として使用後は元の住所(置場所)に物を戻す】ことを定めた悪法である。

 

私はこの法案に反対した。

この法案は原則置場所を定めたら、それ以外の場所へものを出しっぱなしにすることを禁じるものであり、現在の置場所からの転居を望む所有物達が移動できないという、所有物達の「移動の自由」を侵害する法案であるとして、私は彼女に反対した。

しかし、我が反対もむなしく、法案は採択されてしまった。僕は悲しみと共に最後の抵抗として本棚の本たちに転居を進めたが、彼女に阻まれ、本たちは巻数順に政府が用意した定位置へと収容されてしまった。

 

こうして我が家は今、「所得物定住法」により、自由を失ってしまった。

だが、私は負けない。

いつかこの悪法に打ち勝つ日が来ると信じている…。

いや、そろそろ片付け能力を身に付けよう。

 

筋肉痛

昨日、公園で久しぶりに友人とバドミントンで汗を流しました。

社会人になってから運動不足を痛感していましたが、まさかここまで体力が落ちているとは…。

剣道と空手の現役だった高校・大学生時代と比較すると絶望します。今剣道のかかり稽古なんてやらされた日には、10秒でぶっ倒れる自信があります。

剣道と空手、どちらも有段者ではありますが、現役の頃はちょこちょこ作法がごちゃごちゃになって先生や師範に怒られていたのを思い出します。

例えば正座をする際、剣道では「左座右起」というように、左足からおり立たんで座り、たつ際は右足から立ち上がるという作法なのですが、僕の空手流派はこれが逆でして、ちょこちょこごちゃ混ぜになってしまいました。

後は間合いですね。

これは完全に人によると思いますが、僕はこれが一番大変だった。

空手は素手ですので、間合いが近いんですね。剣道は剣がある分間合いが遠い(広い)んですよ。

空手をずっとやって来た私は、どうしても剣道の間合いが最初掴めなくて、かなり苦労しました。

とまあ、昔を思い返せば頑張っていた私ですが、今では冒頭にかいたように運動不足の化身。

定期的な運動が大事だなぁと、しみじみ思う日曜の夜。

闘う俺の唄を聴け

ファイト!!

闘う俺の唄を 闘わない奴等が笑うだろう

 

ファイト!!

冷たい水の中を ふるえながらのぼっていけ

 

努力は無駄 センスだけで生きていく

そう誓った18の夏

地獄のサウナのような体育館の床の上で

手から落ちた竹刀と首に突き刺さる一閃

 

圧倒的な才能の前に崩れ落ちた努力の亡骸に

いったい誰が声をかけることができただろう

観衆の目に映る敗北者達の背中には

共に稽古をして来た仲間の想いがのしかかる

 

砕け散った努力の汗を

何事もないように踏みつけ歩く

首に残る敗者の傷は

骨よりも大切なものを砕いたようだ

 

ファイト!!

闘う俺の唄を 闘わない奴等が笑うだろう

 

ファイト!!

冷たい水の中を ふるえながらのぼっていけ

 

越えることのできない壁を前に

努力の亡骸を戦場に置き去りにした

自分の才能を探そうとして

終わりの見えない旅に出掛けた

 

ある時一羽の水鳥りが

川の中でもがいているのをみた

翼に怪我を負ったのか

その鳥はもがき苦しみ足掻いていた

 

翼という才能を持ちながらも

飛ぶことのできない一羽の水鳥

能力とは簡単に失われていくもの

努力を失った俺のように

 

ファイト!!

闘う俺の唄を 闘わない奴等が笑うだろう

 

ファイト!!

冷たい水の中を ふるえながら飛んでいけ

 

どれだけ旅を続けたのだろうか

何か得るものがあったのだろうか

失ったものを数えることの方が

得たものよりも多い気がする

 

ふと気がつくとあの時の体育館が目の前に

胸に混み上がる声にならない叫び声

あの時倒れた床の上に

努力の汗が染みていた

 

床の上で大きく横になり天井を見上げた

あの時と同じ景色がなぜか違う景色に見える

心の中に隠していた一本の剣が

鞘から抜かれる音がした

 

ファイト!!

闘う俺の唄を 闘わない俺が笑うだろう

 

ファイト!!

握った剣を胸に 構えながら進んでいけ

 

ファイト!!

闘う俺の唄を 失った誇りと共に

 

ファイト!!

冷たい水の中を ふるえながら唄ってやる

 

ファイト!!

闘う俺の唄を 闘わない奴等が笑うだろう

 

ファイト!!

冷たい水の中を ふるえながらのぼっていけ

 

 

替え歌でもなんでもないのでリズムもめちゃくちゃ。

昨日の記事に心に浮かんだ文字たちを加えただけ。