美濃んちゅの酒場

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善きサマリア人

「善きサマリア人」という言葉をご存知でしょうか。

キリスト教文化圏の人や医療従事者の中では有名なこの言葉。我々一般人は知らない人が多いかもしれません。

 

「善きサマリア人」の話はルカによる福音書に出てきます。

ひとりの傷だらけの男が道路脇に倒れていた。そこへとある司祭が通りかかったが、男の酷い有様を見ると避けて通った。次にレビ人がやってきたが、彼も男を無視した。最後にサマリア人が通りかかり、サマリア人だけが男を助けようとした。

サマリア人は現在も存在する民族であるが、当時は排斥されていたようです。

司祭やレビ人は祭司階級であるにも関わらず男を助けなかったが、排斥されていたサマリア人は男を助けた、という困っている人を助けることの大切さを説いたキリストの言葉だそうです。

 

ここで、「善きサマリア人の法」というものがあります。これはアメリカなどで存在している法律で、他者を助けた人が万が一救助に失敗した場合でも、その人が訴えられることがないようにしようとするものだそうです。

例えば飛行機の中で急病人が発生し、乗り合わせた医者が治療に当たったが死亡してしまった、といったシチュエーションで、「救おうとした医者を咎めることがないようにしましょう」というのが「善きサマリア人の法」にあたります。

救おうとしてくれた人を咎めないというのは、感覚的にいえば当然といえば当然なきもしますが、残念ながら日本ではこの「善きサマリア人の法」は明文化されていない(立法されていない)ようです。

災害が多い日本で暮らしていく私達。

もし自分が道端で倒れている人を救おうとして、結果として命が失われ、それを罪に問われたとしたら…。私は善きサマリア人になれるのでしょうか。