美濃んちゅの酒場

岐阜を愛する若者が、様々なことを調べたり調べなかったりするブログです。ローカルネタから真面目なネタまでジャンルはゆるめです😁✨✨覗いてみてください。

私が酒を飲むワケ

みなさんご無沙汰しております。美濃んちゅ酒場マスターの雪丸です。

師走ということで、例年であれば毎週忘年会やらなんやらで飲酒する回数が増えるものですが、今年はこんなご時世ですので飲酒の機会も減り、少しアルコールに弱くなった気がします。

さて、今日はそんなお酒についてのお話をしようかな、と思います。

このブログのタイトルにも「酒場」というワードが入っておりますように、私とお酒とは切っても切れない縁で結ばれているのです(完全な私の片想いでしょうが…(笑))

そもそも私がお酒に対して興味を持ち始めたのはいつだったのか。

先日実家に立ち寄る機会があり、祖母に尋ねたところ、私が小学生に入る前にはスーパーの酒コーナーに立ち止まって「じぃっ」と酒たちを眺めていたそうです。物心ついたころには、私はお酒に想いを寄せていたのですね。

子供の頃は当然お酒を飲むことはできませんので、いったい私がお酒のどこに惹かれていたのかを改めて思い返してみますと、「容器」に惹かれていたような気がします。

お酒にもいろいろあり、日本酒、ワイン、リキュール、焼酎、ブランデー、ウイスキーなど、種類によって当然容器のカタチもいろいろあります。ペットボトルのジュースにはない、あの独特のボトルのカタチに、幼い私は心惹かれていました。

中学生頃になると、お酒への憧れはますます強くなっていきました。中学生当時、「パイレーツオブカリビアン」が猛烈に私の中でブームとなり、何度も何度も見返しました。パイレーツオブカリビアンでは、港町の酒場で海賊たちがワイワイガヤガヤお酒を飲むシーンがあったり、主人公のジャックがラム酒を飲んで騒いだり、お酒がいろいろなシーンに現れます。中学生の私は、「自由」というものに強烈に憧れ、その自由の象徴が「海賊」であり、「酒」だったのです。

かといって中学生がお酒を飲めるわけもなく、どんな味なのかも想像もできなかったけれども、「きっと極上の旨さの飲み物なのだろう」という勝手なイメージをどんどん膨らませていったわけです。

高校生になると、いったんお酒への熱が冷めます。理由はいろいろありますが、多感な時期に母親を亡くしたりいろいろあって、お酒どころかすべてのことに対する興味が薄れます。そんな中で、唯一夢中になったのが「郷土史」でした。今思えば、遠い過去のことを知ることで、つらい今という現実から目を背けたかったのかもしれません。ひたすら郷土史、ひいては歴史に没頭しました。在籍していた高校は、地元ではそこそこの進学校で、周りの生徒は受験に向けて動き出していました。特段勉強にも興味を持てなかった私は、大学受験をせずに三重県かどこかで漁師になって暮らそう、そう考えていました(三者面談で父親と担任の前でそう伝えたら父親は唖然とし、担任に反対されたのを覚えています)。

なんだかんだで受験する羽目になり、お酒のことを考える余裕もあまりなく、参考書とオカルト本と漫画と郷土史書を読みふける毎日。気が付けば大学生になっていました。

大学に入り、ある程度心に余裕も生まれ、恋愛にうつつを抜かすようになり、失恋したり職質されたり、いろいろな失敗体験をしながら、「自分とはなにか」を考えるようになりました。大学生が陥りがちな「What is my life??」現象に完全に陥っていました。

結果自分探しの旅に出ましたが、どこにも真の自分はおらず、ますます自分がわからなくなりました。うまくいくことも多くあったはずなのですが、何かうまくいかないことがあると、それまでの成功体験を漆黒に塗りつぶしてしまう。なんだかんだで20歳になり、お酒を飲むようになるとますます自分がわからなくなりました。私は、お酒を現実逃避のための道具として使うようになっていたのです。幼いころから憧れてきたお酒との付き合いは、酷いスタートとなったのです。

私がお酒との付き合いを改める大きな契機となったお店があります。

20歳の2月のこと。恋人と名古屋の堀川沿いを歩いていると、「ワインバー」というワードが目に入ってきました。当時の私はお酒は飲むものの、お酒を楽しむというよりは、酔っている感覚を楽しむことがメインでした。そのため、ビールだろうがワインだろうが焼酎だろうが、これといったこだわりはまったくありませんでした。

恋人にせがまれ、ワインバーの扉を開けると、気のよさそうなお兄さんが出迎えてくれました。カウンターに通され、注文を聞かれると、私は「適当なおすすめワインをください」という適当すぎる注文をしました。お兄さんは「今日の気分はどんな感じですか?」「渋みの強いものがいいですか?」など様々聞いてくれましたが、私は「てきとーで」というあまりにも愛想のない返事をしてしまいました。

カウンターに運ばれてきた赤ワイン。この赤ワインとの出会いが、今の私を作ったといっても過言ではないでしょう。銘柄も、葡萄の種類も、当時の私には知識も何もなく、今も思い出せませんが、その芳醇な香りと口に含んだ後の余韻に衝撃を受けたことだけは覚えています(最終的なチェック時に金額でまたびっくりしたのも今はいい思い出)。

その後私は、お酒に対する付き合い方を改めました。道具としてではなく、芸術作品として飲むようになりました。

すると不思議なことに、それまで同一に感じていた様々な銘柄のビールの違いを感じ取ることができるようになったり、同じワインでも温度によって味に違いが生じることに気が付くようになってきたのです。

気が付けば、お酒は僕の心の支え、趣味になっていたのです。お酒と初めて、ほんの少し分かり合えた気がします。

知識量も経験もまだまだ足りない私ですが、お酒を愛する気持ちだけはどんどん膨らんでいきます。酔うためではなく、心を満たすため。お酒のバックグラウンドや、お酒とのマリアージュをさがしたり、楽しみ方は無限大です。

一時はお酒との付き合い方がわからなくなったこともありますが、それも経験として必要だったのかもしれません。

今後も人生をかけてお酒という至高の芸術品との出会いを探求していきたいと思うのです。忘年会、嫌な思い出は忘れることも大事ですが、くれぐれもお酒で記憶を飛ばさないように気を付けてくださいね。雪丸との約束ですよ。