美濃んちゅの酒場

岐阜を愛する若者が、様々なことを調べたり調べなかったりするブログです。ローカルネタから真面目なネタまでジャンルはゆるめです😁✨✨覗いてみてください。

雪丸と一本の山桜

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こんにちは。美濃んちゅの酒場マスターの雪丸です😊

この自己紹介がすっかり定型文になっています。この定型文から始まる記事はだいたい雑談カテゴリに収納されると思います😊。

 

でもそろそろ私以外の記事も読みたいですよね…?一応他のメンバー(といっても私以外に一人ですが…)も記事を書くといっているので、近日記事をアップできると思います!!私と異なり、音楽や料理が好きな子なので、きっとそういう記事が増えるんじゃないかな??てことは、新たにカテゴリを増やさなきゃ…!!

 

さて、新型コロナウイルスが世界中で猛威を奮い始めて早いもので数か月が経とうとしています。会いたい人にも会えず、悔しい思いをされている方も多いのではないでしょうか。私も友人たちとのGWの予定含めすべての予定が消滅し、ウェブ上でしか彼らと会えていません。ただ、インターネットっていうのは非常に便利で、人間でネット環境さえあれば気軽に連絡が取れるので、会えなくても会っていない感じが少ないですよね。

 

ところが、インターネットでは会えない友人も世の中には存在します。私にもそういう友がいます。友といっても、いつも私が一方的に語りかけているだけなのですけどね。

 

私が生まれ育った地は山間の小さな農村で、自然に覆われていました。春には蝶々や様々な野の花が、夏にはセミやカエルの鳴き声、秋には燃え滾る紅葉、冬には白銀の雪が木々を包み込む。美しい自然のもとで私は育ちました。

 

少子高齢化が叫ばれている現代において当然といえば当然ですが、小さな山村には子供も決して多くはなく、特に私は山の上に住んでいましたので、友達を自宅に招くにも不便でありまして、幼いころは自然を相手によく遊んだものでした。

 

私の自宅から少し山へ入ったところに池がありまして、ある春の日、幼い私は迷い込むような形でその場所にたどり着きました。そこには一本の山桜が立っていて、見事な薄紅の花を咲かせていました。その木は立派というにはいささか頼りない様子の樹木であり、幼い私にそんな桜の美しさなど到底理解できないはずなのですが、不思議と私はその桜に興味を持ち、それから散歩の際に親の目を盗んではこっそりと山桜を見に行くようになりました。

からしたら散歩中に子供が突然いなくなればパニックものだと思うのですが、不思議と怒られることはありませんでした。もしかしたら私の行き場所を知っていたのかもしれませんね。

 

その年から、私とその山桜は春になると会うようになりました。いつしか私はその桜を「次郎」と呼び、つらいことやうれしかったことを話すようになりました。次郎は例年GW少し前に立派な花を咲かせます。私は毎年欠かすことなく次郎のもとに行き、まるで人間の友のように私は次郎と会話をしていました。当然次郎は桜ですので言葉は発しません。しかし、不思議と会話しているような感じがするのです。

 

今年の正月、私は実家に帰った際、次郎のもとへと向かいました。次郎は当然花など咲いておらず、みすぼらしい姿をしていました。私は新年のあいさつを次郎にし、つまらぬ会話をしたのち、またGWに会おうといって別れました。

 

今年、新型コロナの影響で、私は実家に戻っていません。岐阜の都市部に住む私が、山間の村にウイルスを持ち込んだら、おそらく私の実家に住む家族は住む場所を追われるでしょう。地元の友人たちは帰ってこいと言ってくれましたが、私は断りました。そして結果的に私は、次郎との約束も守れませんでした。

 

次郎にとっては、人間たちのウイルス騒動など興味もなく、あの山の中の静かな池のほとりで今も私を待っているのでしょう。コロナが収まった時、次郎は私を許してくれるだろうか。もう一度私を受け入れてくれるのだろうか。そんなことばかり考えます。

 

樹木なので当然来年も花を咲かせてくれるでしょう。

私のことだっておそらく樹木である次郎は何とも思っていないでしょうし、認識すらしていないでしょう。

だけど次に私が見る次郎の花は、私が今まで見ていた姿とは異なって見えると思います。私がきっと、それを望んでしまうから。。