気づいたらもう明日で26歳。
高校入学がもう10年以上前になるんですね。
24歳で結婚し、25歳で子供が生まれるライフストーリーを高校生の頃は想像していたけれど、25歳で子供はついに生まれませんでした。
子供は授かりものなので、何歳になろうが僕のところに生まれてきてくれることを首を長くして待っています。
明日から26歳ということで、いい感じに脂も乗ってきました。とりあえず26歳のうちに乗りに乗った脂を少し落とすことを目標にして生きていこうと思います。
気づいたらもう明日で26歳。
高校入学がもう10年以上前になるんですね。
24歳で結婚し、25歳で子供が生まれるライフストーリーを高校生の頃は想像していたけれど、25歳で子供はついに生まれませんでした。
子供は授かりものなので、何歳になろうが僕のところに生まれてきてくれることを首を長くして待っています。
明日から26歳ということで、いい感じに脂も乗ってきました。とりあえず26歳のうちに乗りに乗った脂を少し落とすことを目標にして生きていこうと思います。
あいって…なんだろう…
雨にうたれながら夜空を見上げる…
俺は…大丈夫だから…
大変お久しぶりです、ふうりです!
みなさん覚えていますか…?😭
また少しずつ書いてみようかなと思っています!
お付き合いください!!
私事ですが…
実は先日結婚式を挙げることができました!
前日めちゃめちゃに雨でしたが当日は雲ひとつない快晴で、親族や懐かしい友人たちと最高に楽しい一日を過ごせました!!
結婚式のたくさんの思い出はまた機会があればブログにしたいなぁと思っています☺️
楽しすぎて未だに写真を見ては思い出に浸っています笑笑
今日はその結婚式の中でも
参列者、式場スタッフの皆さんを戸惑わせてしまったふうり最大のやらかしをご紹介します…
パイプオルガンの心地いい響きの中で挙式が滞りなく進んでいき
新郎友人の大きなリングボーイが指輪を運んできた直後、その時は訪れました。
指輪交換でつける手、間違えました。
指輪、普通左手につけるんですけど(常識)、
(なんなら司会者の人が左手に、って言ってました)
ふうり何の躊躇いもなくスッと右手を差し出したんです。
新郎も何の疑問もなく差し出された右手薬指に指輪をはめてくれました笑
ふうりは新郎の左手薬指にちゃんとつけましたよ笑
お互い左右に指輪をつけたので指輪披露はとってもスムーズにできましたね笑
後で聞いた話によるとこの時点で
親戚、友人、式場スタッフは大混乱だったみたいです笑笑😂
気づいてないのは新郎新婦だけ笑笑
私たちは退場後メイクさんに会って
「指輪、左手??」
と聞かれるまでまったく気づきませんでした😭
とまぁ、ポンコツ具合を皆さんに晒したのですが笑笑
この話には続きというか前話がありまして。
結婚式というと女の子はマツエクをしてみたりネイルをしてみたり…花嫁美容に気合いを入れるわけですよ👰
ふうりは仕事柄ネイルができないので
結婚式こそは憧れのネイルをしてもらいたい!!と思ったわけです。
指輪交換で目立つ指はかわいい装飾をしてもらおうと思って右手薬指は特にかわいいデザインを施してもらったんです。
右手薬指です。。
この時点でもう既に間違えてました笑笑
さらにさらに挙式当日朝、新郎新婦控室で
ヘアセットやメイクをしてもらっている時
新郎が「緊張しすぎて指輪交換する時手間違えたりして〜〜」と話していて
流石にないよね〜〜あはは〜
とメイクさん含め3人で話してたんです。
現実になりましたね。笑
ふうり夫婦の間ではめちゃめちゃに笑い話になってますが、
これから結婚式挙げられる方はお気をつけて…。
嘘の様なハプニングが起こったふうり結婚式でした😂
ちゃんちゃん♪
タイトル通りですが、しれっとインスタグラム始めました。
最近カメラを買ったので、撮った写真をあげていこうと思います
初心者なので下手くそなのと、持ち前の飽き性でどこまで続くかわかりませんがのんびり投稿していきます
皆さんは「東美濃ナンバー」をご存じだろうか。
何年か前に中津川・恵那・瑞浪・土岐・多治見・可児・御嵩の7つの自治体で盛り上がりをみせた幻のご当地ナンバーである。
なぜ幻かというと、結局東美濃ナンバーは地元住民の反対により導入が見送られたためである。
なぜ地元の住民が反対運動を繰り広げたのかについては、理由が多すぎて枚挙にいとまがない。「東美濃はダサい」「東濃ナンバーにしてほしい」といった理由もあれば、「東美濃は恵那・中津川の呼称であって、多治見は東濃だ」といった意見もある。
多治見は東濃だ、という言説はまあわからないことはない。
恵那に住んでいた私も、東濃に多治見や恵那が含まれるのには違和感はないが、東美濃となると、何となく恵那と中津川に限定されるイメージがある(おそらくJAが原因だとはおもうが…)。
そんな中、ある自治体住民からこんな声が聞かれた。
「可児は中濃だ。東濃と一緒にしてほしくない。」
これはおそらく、多くの可児市民が感じていることではないだろうか。
そして同じく東濃の人たちも、上記の意見は理解できるだろう。
「可児は中濃か、東濃か」
今回はこれをテーマにしていこう。
そもそも県外の人にとっては、東濃やら中濃やら何の話?状態だろう。
県外の人にとっては美濃地方と飛騨地方の区分くらいしか認識されていないだろうが、美濃地方とひとくくりに言っても、実態は以下の4つ(ないし3つ)に区分することが多い。
・西濃(中心は大垣)
・岐阜地域(中心は岐阜市)
・中濃(中心は可児市)
・東濃(中心は多治見市)
おいおい、早速答えが出てるじゃないか。
可児市は中濃の中心って書いてあるじゃないか。
じゃあ可児市は中濃で決まりやね。
と、記事を終わりにさせることはありません。
あくまで上記は「現代において」一般的に語られるエリアのお話。
歴史的に見たら可児市(及び御嵩町)は、中濃ではなく東濃となのってもよい場所なのです。
一体どういうことか。
そもそも現在の市とか町という自治体区分ができたのはごく最近のこと。
かつては村という単位が主流でした。
そしてその村の上にある広域自治体区分として、郡がありました。
明治時代、東美濃ナンバーの舞台となった土地は、恵那郡・土岐郡・可児郡と呼ばれていました。
恵那郡は現在の恵那市のほぼ全域・中津川市のほぼ全域・豊田市の一部を含む広大なエリア、土岐郡は現在の瑞浪市・土岐市・多治見市にあたるエリア、可児郡は御嵩町、可児市、多治見市の一部を含むエリアでした。
可児郡に多治見市の一部が含まれているのはおいておいて、この郡の分け方には基本的には地形がかかわっていたと考えられます。
この地域には巨大な河川、木曽川が流れており、この3郡と加茂郡(美濃加茂や関など)との行き来には船を使わなければなりませんでした。
一方3郡間の行き来は中山道や下街道、今渡街道と呼ばれる陸路の利用が可能です。
船使わないといけない地域と、陸で行ける地域、どっちと親密かって言ったら、圧倒的後者だと思うんですが、いかがですか??
恵那郡と可児郡が距離的に密接だったかといわれると、微妙かもしれませんが、明治時代になると3郡を管轄する行政施設が御嵩におかれるなど、明治時代には確実にこの3郡は仲間だったはず。
そんな可児がなぜ中濃になってしまったのか。
これはもう歴史がそうさせたとしか言いようがありません。
かつて樺太が日本だったかといって、現在樺太に住む人に日本語をしゃべれと言うのは無理な話。
かつて東濃だった可児は、もういないのです。
そりゃ可児さんからしたら、中濃のライバルは美濃加茂と関ですもんね。余裕で勝てますよ。ボスのポジションはさぞ気持ちがいいでしょう。
もし東濃になったら、敵は多治見先輩ですからね。
可児さんじゃかてないっすもんね。
後半グダグダしましたが、個人的な意見を言えば、「可児は東濃だったが今は中濃でいいんじゃない?」といったところでしょうか。
正直、ご当地ナンバーで盛り上がってた頃はいろいろ思うところあったんだけど、時がたつとめんどくさくなってくるよね。
可児さん、せいぜい中濃のボス気取って頑張ってくれ。
御嵩はいつでももどっておいで!!
以上!!!