美濃んちゅの酒場

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【勉強メモ】日本の統計を築いた重要人物たち

統計調査士合格を目指しながらテキストと向かい合うもなかなかやる気も元気も出ません。息抜きがてら統計に関わる人物の業績を勉強メモがてら書き記そうと思い立ち、カテゴリ『勉強メモ』の最初の記事を書いています。

最初の記事はやはり我々が住む日本の統計について書いていこうかな、と思います。

書くことによって自分自身の勉強にもなるし、興味がある人の知識の種となればいいかな、と。

 

さて、昨今統計といえば、先日ちらほらニュースになった国交省の統計改ざん問題が記憶に新しいですね。不正が発覚したのは「建設工事受注動態統計」というなんとも難しそうな統計調査ですが、簡単に言えば建設業者が受注した工事実績を集計する統計です。

統計の不正はただでさえ問題ですが、この事件で特に問題となっているのは、この統計が「基幹統計」であることです。基幹統計とは国が特に重要だと位置付けている統計で、この調査の対象になった場合回答の義務がある非常に重要な統計なのです。

そんな重要な統計で不正があったので多くの幹部陣が責任を取る形になっているわけです。

基幹統計に限らず統計は非常に重要です。

ではなぜ統計は重要なのでしょうか。

まただれが統計の重要性に気づき、今日につながる日本の統計の基礎を築いたのでしょうか。

 

日本の統計の基礎を作った人物としてまず最初に名前が挙がる人物といえば、総理大臣も務めた「大隈重信」でしょう。

大隈重信といえば早稲田大学の礎を築いた人物としても知られていますが、同時に日本の統計の礎を築いた人物でもあるのです。

明治時代、政府に仕えていた大隈重信は、財務に携わる仕事についていた際、田畑の面積や小口の状況など租税の状況がわかる資料がないことに気づき、調査を指示したといわれています。当時の状況を身近に例えると、買い物しようにも自分の財産(所持金)がいくらあるのかわかっていない感じでしょうか(ちょっと違うか)。

とにかく、統計資料の重要性に彼は気づいていたようです。

その後、明治政府においても統計を司る部局が生まれますが、財政のひっ迫など様々な理由で統計の部署は以前軽視されていたようです。

そんな状況を打破するために、明治14年、統計部局の拡大強化のため「統計院」設立の建議書を提出しました。建議書の冒頭には

現在の国勢を詳明せざれば、政府すなわち施政の便を失う。過去施政の結果を鑑照せざれば、政府その政策の利弊を知るに由なし。

と書かれ、統計の重要性を訴えました。その結果、政府に統計院が設立され、近代日本の統計の発展につながりました。

 

大隈重信と同じく名前が挙がる人物といえば、杉亨二でしょう。

杉は今日の国勢調査の父といってもいい人物です。

国勢調査といえば、5年に1度実施される全国民が対象となる人口統計です。

この国勢調査を実施するための道を整備したのが杉でした。

かつての日本には、人口を正確に記録した資料はありませんでした。

これでは諸外国と比較することができませんし、人口は国の政策を決める際の根幹であり、自国民の人口すら把握できていないことは西洋諸国と比較しても大変悲しいことだったでしょう。

杉は、駿河で日本初の人口統計といわれる「駿河国人別調」を実施しました。しかしながらこの調査は途中で中止となってしまったようです。

その後、日本全国を対象とする国勢調査の試験調査として、日本初の大規模人口統計調査である「甲斐国現在人物調」を実施しました。これにより国勢調査を実施した場合の予算感などがわかりました。

その後も杉は国勢調査の実施に向けいろいろと奮闘しましたが、1917年、国勢調査の実施をみることなくこの世を去りました。第1回の国勢調査が実施される3年前でした。

 

他にも日本の統計の礎を築いた人物は多くいますが、代表的なのはこの2人でしょう。

統計は現在を写す鏡ともいわれます。

統計がなければ、自分たちのことを客観的にみることはできません。

統計によって人々の生活に影響のある様々な政策が決定されます。

統計は非常に重要なツールなのです。

 

日本の偉人たちが築いた統計の歴史を、不正統計などで汚さないように、統計に携わる者は今一度襟を正さないといけませんね。