美濃んちゅの酒場

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明治のタクシー、人力車

突然ですが、車が普及したのは何時代だと思いますか?

自動車が大衆に普及したのが昭和に入ってからですので、一般的には「昭和」と回答する人が多いかもしれません。

しかし、私は「明治」と答えたい。

勿論明治時代に現代の自動車のような車がブンブン走っていた、なんていう妄想を武器に闘うことはしません。

ここでいう「車」とは「車輪がついた乗り物(ないし運搬に用いるもの)」を指します。

いつぞやの記事で明治時代の代表的な車を紹介していますので、どんなものがあったのかという説明は省きます。

明治時代の車文化 - 美濃んちゅの酒場

その中でも、今日は明治時代のタクシーと呼んでも差し支えないであろう、「人力車」について浅くご紹介したいと思います。

 

人力車といえば現在では京都や浅草などの歴史的な観光地を案内する「観光用」の乗り物という印象が強いですが、かつては現在でいうタクシーのような使われ方をしていました。

タクシーといいつつも、実際には走行ルート等がある程度決まっていたようです。

岐阜県においてもかなり早い時期に人力車は広まっており、明治10年代には東濃地方を始めとした県内各地で普及が見られます。

明治20年には人力車営業規則が発布されており、営業規則が必要なくらいには普及していた乗り物と言えます。

鉄道の駅ができる前までは、各地の旧宿場町を中心に人力車は営業していたようですが、鉄道の駅ができると人力車たちはこぞって駅を中心に営業をしていたようです。そのあたりもタクシーと似たところが感じられます。

 

ご賢明な読者はこの記事で非常に浅い説明しかしていないことに早くもお気づきかもしれません。

そうです。

実はこのテーマ、私の卒論に関わる雑談というのりで、卒論を書いてたときに使わなかった資料たちの供養にしようと思い書き始めたのです。

が、書き始めた時には「卒論の資料なんか本棚にあるだろう」と思っていたのが、どこを探せど見つからず。

しかし冒頭部分は書いてしまったので、薄い記憶を頼りに記事を書こう、でも根拠が示せない…まあ薄い説明にとどめて後日資料が見つかったら改めて書けばいいだろう。

そんな感じで書いております。

なので、完全にタイトル詐欺になってしまっているわけでございます。

後日見つかったときにはちゃんと書きますのでご容赦を、っと。

そろそろ言い訳が人力車部分の文字数に達しそうなので、ここらでドロン。

また後日。