大学3年の夏、地理学のゼミに入った私は、那智勝浦町の諏訪神社と出会った。
那智勝浦町は和歌山県の東部に位置する小さな町である。観光産業が盛んであり、名物のマグロやめはりずしは絶品である。那智勝浦町といえば、言わずと知れた熊野信仰の聖地である「那智山」を擁する町でもある。中世には那智山を含む熊野詣が貴族や皇族を中心に盛んとなり、その聖地である那智大社や那智の大滝は現在世界遺産にも登録されている。
そんな熊野信仰の盛んな町で、私は7の諏訪神社と出会った。
(正確には諏訪神社という名称では6社)
那智勝浦町は、もともと異なる村だった地区が合併して生まれた歴史がある。
我々が普段郷土を語る際には、このような合併の歴史を踏まえるという点に気を付けなければならない。現在の行政区分に基づく行政区域が一つの文化を共有しているとは限らない。
下の表は、那智勝浦町の旧村名と過去あった神社と現在残っている神社を示している。学生時代につくったものを引っ張ってきたが、なんとまあ見にくいものよ。。。
那智勝浦町が現在の「那智勝浦町」に至るまでには、多くの村の合併があった。明治の大合併、昭和の大合併、平成の大合併と、時代が下るにしたがって、多くの村が統合されていった。
統合されるのは村だけではない。
明治時代には各地で神社の統廃合が盛んにおこなわれた。
那智勝浦町においても、統廃合がすすめられたが、比較的多くの神社が残っている。
その中で、とりわけ目を引くのは「諏訪神社」ではないだろうか。
諏訪神社は言わずと知れた長野県の諏訪大社の分社・末社である。
諏訪神社は日本中で信仰されているが、熊野信仰のおひざ元である那智勝浦町域において、これほどまでに多くの信仰を集めているのは非常に興味深かった。
そして、私は大学3年の夏を、この那智勝浦町の諏訪信仰の謎に費やすことを決めたのであった。
結論から言うと、なぜ諏訪信仰が根付いたのかという正確なことはわからなかった。すべての諏訪神社をめぐり、氏子さん、宮司さんの協力を仰いだものの、残された資料があまりに少なく、正確な理由はわからなかった。
しかし、ある程度の推測はたてられた。
もし興味がある人がいたら、それについて書くことにしよう。
きょうはここまで。