久しぶりにこちらのブログを更新します。
(メインブログもほとんど最近更新していませんでしたが…)
「陶都(とうと)」という言葉をご存知でしょうか。
陶は陶磁器、都は都。
そう、陶磁器の都、陶磁器の生産地、岐阜県では多治見などを指す言葉として使われています。
というわけで今日はタイトルにもある通り、陶都多治見の発展を支えた「今渡街道」を散歩してきました。
古来から都市の発展には交通が欠かせません。
都市が発展するということは多くの人々が交流することを指します。
人々が交流するためには道なり港なりが必要です。
多治見の発展を促した街道は大きく2つあります。
1つめが現在の恵那市から名古屋を結んだ【下街道】、もう1つが多治見と河川舟運の港であった可児郡今渡を結ぶ【今渡街道】です。
今渡街道と下街道を同時に観測できるスポットが多治見市内にあります。
多治見駅からながせ商店街を東に進むと、下街道と今渡街道の分岐点があります。
写真右側の道が今渡街道、左側の道が下街道です。
今日は今渡街道を散歩しました。
正直現在の今渡街道には往時の面影を残している場所はほとんどありません。
散歩しては見ましたが、根本を越えたあたりから街道の面影がほぼなく、「この道であってるの?」状態でした。
ただ時折現れる石仏達が、この道の歴史をなんとなく物語っている、そんな雰囲気でした。
今渡街道を通って多治見からは陶磁器が運ばれ、今渡からは農耕馬などが運ばれたと言われています。
また荷馬車と言われる荷物を積んでものを運ぶ馬車もこの道を通ったと言われており、馬頭観音があることからもその雰囲気がなんとなく伝わります。
街道歩きをしているときに「本当にこの道であってるのかな?」と思うことが多々あります。
そんなときに道標を見つけるとすごく安堵感があります。
道標はだいたい辻に設置されており、「右 〇〇みち 左 〇〇みち」などと記載されていることが多いです。
これを見つけたときの喜びと興奮はたまりません。
しかし残念ながら、今渡街道において上記のような歴史的な遺構は今日ほとんど残っておりません。
鉄道→自動車の時代を経てかなり開発が進んでしまっています。
ただ、そんな時代だからこそかつての面影を見つけたときの喜びは至上のもの。
これからも散歩はやめられませんね。