美濃んちゅの酒場

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実家への挨拶の愚痴

日記がわりに記載。
ほとんど愚痴。

本日、我が実家へ婚約者を連れて結婚の挨拶に出向いた。

田舎独特の長男墓守信仰や、密接すぎる地域社会、そして過干渉すぎる家族に嫌気がさして逃げるように家を出た私が、結婚を決めた相手を家に連れていくのは個人的にはあまり乗り気ではなかった。

 

結婚の挨拶も正直彼女の家だけでいいとさえ思っていた。田舎になんて挨拶いく必要ない。そう考えていた。

しかしながら、彼女の説得に屈した私は、嫌々ながらも今日実家へと出向いたのだ。

 

結果は無事結婚の了承を得た。

了承するしか家族にはとるべき行動はなかっただろう。たとえ反対したとしたら、私が二度と実家の敷居を跨ぐことはないことを恐らくは感じていたかもしれない。

そもそも結婚に反対する論理的理由が家族にはないし、結婚の条件にしても反対する理由はない。当然彼女の人柄もあった。彼女は私には勿体ないほどの女性だ。彼女のおかげもあり、なんとか平穏無事に挨拶は終了した。

 

思えば実家にいた時には、感情論を振りかざす家族には手を焼いた。

論理的に見れば矛盾しているその感情論も、田舎独特の共同体意識によって近所・親族から共感を取得し、結果として私の行動を制限した。

実家から出たとき、初めて私は自由を手に入れた。騙し討ちのような形で引っ越した訳だが、正直後悔は1mmもしていない。

あのまま実家にいたら、私の精神は磨り減り、彼女とは別れることになっていたかもしれない。

 

結論として、今日まで私にとって実家とは帰るべき場所ではなく、檻のような場所であった。閉鎖的なコミュニティに私を閉じ込める憎むべき象徴であった。

 

だが、結婚が正式に決まった瞬間、檻は檻でなくなった。少なくとも、私は人生で初めて、己の自由意思のもと下した決断を家族に認めさせたのだ。

 

高校も、大学も、就職も、家族から受ける制約の元で選択肢を迫られて生きてきた私が、結婚という新たなステージに進むに辺り、(行動に多少強引さがあったのは否めないが)自らの意思のもと下した決断を認めさせたのは、大きな意味がある。

 

今日立ち会ってくれた家族や親族は祝ってくれていると信じたい。少なくとも私が実家にいたときから、愚痴を聞いてくれたり、引っ越し(逃亡)の力になってくれた親族には礼を言いたい。ありがとう。しかし、我が田舎の家族・親族等の中には素直に祝福しない者も少数ながらいるかもしれない。

が、それはそれでいい。万人から喜ばれるような生き方はしていないから自業自得だ。

 

ただ、そんな連中の内心はどうあれ、結婚が決まった以上彼女も親族となるわけで、彼女の親族とも親族となる。

その際にはせめて、私や彼女に恥をかかせないでくれることを願ってやまない。