美濃んちゅの酒場

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7月盆?8月盆??

みなさんこんにちは。

世間ではすっかりお盆休みムードで溢れかえっているわけですが、私はといいますと明日明後日は通常出社でございます。そもそも私の実家のある東濃では7月盆の地域も多くあったので、8月の盆休みといいましてもあまりピンとこないわけであります。

 

7月にお盆がある地域と8月にお盆がある地域があるわけですが、その違いはいったい何かといいますと、旧暦で行事を行っているか否かという点にあります。

明治時代以前、日本では太陰暦(旧暦)が使用されていたわけですが、明治時代になりますと新政府によって太陽暦新暦)が導入されました。

明治時代以前のお盆行事というのは旧暦の7月14日、15日(現在の8月14日、15日)に行っていました。それが突然明治政府から「新暦導入したから行事も新暦に合わせてね♡」と言われたわけですね。去年まで事実上8月にやっていた行事を1か月前倒しでやってくれと言われても困ってしまう人が多いわけですよね。

都市部では「はい!了解です!」とすんなりいくことも、地方では「そりゃむりだ」ってなることは現代においても多々あるわけですから、現代よりも都市ー農村という二項対立がはっきりしていた明治時代においてはなおさらそうでした。

明治政府によって旧暦から新暦に暦が変更されても、農村部では伝統的な旧暦にのっとって行事がおこなわれました。それが7月盆(新暦に合わせた盆)と8月盆(旧暦に合わせた盆)の違いになってきたのです。

一般的に明治政府のお膝元であった関東では新暦に合わせた7月盆が採用され、明治政府の目が届かない地方部では8月盆が採用されたといわれています。

おやおや??

明治政府が7月盆を採用するように勧めたのに、いったいなぜ現代では8月盆に合わせた盆休みが主流なのでしょうか??

ここからはあくまで持論なので根拠を示す資料がないので参考程度にしておきますが、都市部というのは今も昔も地方から流れ込む労働力によって成りたっています。

地方から東京に上京している労働者が多くいます。東京では7月盆を採用していても、そういった労働者の実家では8月盆を採用していることが多くありました。そのため8月のお盆に帰省する人が多くなり、それが現代まで受け継がれているのではないでしょうか。

 

さて、私の実家のある東濃、特に恵那市中津川市中山道・下街道筋(国道19号沿い)の地域では7月盆の地域が多くあります。

その理由は明確にはわかりませんが、明治13年の御巡幸が関係しているかもしれません。明治天皇の巡幸がこの地域では6月~7月に行われていることもあり、巡幸を契機にお盆を新暦に合わせたのではないかと個人的には考えています。

いったいなぜそう思うのかって??

この地域では、ひな祭りは旧暦の3月(現在の4月)に行うんです。

もしこの地域が完全に行事を新暦に合わせたとすれば、ひな祭りも新暦でやるのが筋なのですが、新暦に合わせたのはお盆だけなんですよ。

この新暦と旧暦がごちゃ混ぜになった恵那・中津川の中山道・下街道筋の行事を説明するには、「明治天皇の巡幸が新暦のお盆期間にぶち当たるから、お盆だけそっちに合わせました。」っていう説明だと納得できちゃうんですね。

これも根拠があるわけじゃないので、酔っ払いの雑学程度に聞いておいてくれればいいんですけどね(笑)。

 

というわけで、お盆休みの方もそうじゃない方も休む時はしっかり休んで、遊ぶときはしっかり遊んで、働くときはしっかり働きましょう!暑さとコロナに負けないように!!