美濃んちゅの酒場

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回顧録~大学1年冬中山道冒険①~

私がまだ大学1年生だったころ、今からもう4、5年前になるのか。

後期の期末試験もすべて終了し、長い長い春休みが始まろうとしていた。

 

当時の私は某牛丼チェーンで夜勤のバイトをしていたが、バイトにしてはずいぶんと生意気な態度をとっていたと思う。春休みに入った途端、バイトを2か月休職することをシフト提出の前日に決めた。

 

当時の店長は非常に心優しい人であり、突然の私の申し出を快く承諾してくれた。もしくはこの機に乗じて私をやめさせるつもりだったのかもしれない…、と思っていたが、2か月後の休職明け、なぜかランクが上がって再び働き始めたことを見るに、心優しい人だったのだろう。

 

さて、2か月の休職を決めたものの、特にやることは決まっていなかった。お金もないし、手始めに以前から興味のあったリゾートバイトなるものに申し込んでみるか、そう思い立ってリゾートバイトに応募した。応募した結果3月から20日間住み込みで伊豆に行くことが確定した。

 

しかし、2月の1か月が依然として暇であった。自ら望んで休職したとはいえ、何も考えていなかったため、予定も特になかった。そこで私は、当時住んでいた岐阜県恵那市から京都市まで中山道を歩いて遊びに行ってみる旅にでることにした。

 

この旅が今に至るの私の青年期のアイデンティティを形成するものになるとは、当時の私は思ってもみなかった。

当時の私は、相も変わらず何も考えていない思い付きで旅に出ることを決め、その2日後に出発することにした。旅に出るにあたり、本来であれば旅の資金であったり着替え等を準備するのが普通なのだろうが、私はまず旅の相棒を探すことにした。

 

当時Twitterで暇そうにしていた一人の友人に声をかけると承諾してくれ、旅の相棒を私はGETした。彼とはその後も長い付き合いになるかと思われたが、ここ1年消息が分かっていないため非常に不安である。彼を探しに行く旅にでも今度出るかもしれないが、また別の話。

こうして私たちは、準備期間もほぼないまま、そぞろ神の導きによって旅立ちをきめた。約1週間くらいで帰ってくると友人・家族に伝え、朝日が昇る前の恵那駅で集合し、西へと進むのであった。