美濃んちゅの酒場

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驚愕!浦島太郎は信州にいた!?

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はじめに

美濃んちゅ酒場といいながら、初手の投稿がいきなり他国、他県の話題で大変恐縮ですね。。他県といいながらも岐阜県と長野県はお隣さん、特に恵那市中津川市は長野県の木曽地域とも昔から交流が深く、なんと奈良時代には木曽は美濃国恵那郡でもありました!!

 

なので初手から木曽の話題を書いても、問題ないよね。うん、きっとそう。

きっと誰も文句言わないよね。。

 

1.浦島太郎とは

浦島太郎といえば、最近ですと、桐谷健太さんが演じる「浦ちゃん」が非常に有名ですね。桃太郎、金太郎と並んでしばしば「三太郎」と呼ばれる日本昔話を代表するキャラクターでもあります。

 

そんな浦島太郎のお話を、皆さんは覚えていますか??

さいころに読み聞かせてもらったけれども、忘れてしまったという方も多いのではないでしょうか。簡単におさらいしてみましょう。

昔昔、浜辺に浦島太郎という若者が住んでおりました。太郎がある日浜辺を散歩していると、子供たちが亀をいじめているのを発見します。太郎は子供たちから亀を強奪助け出し逃がしてあげました。数日後太郎が浜辺を再び歩いていると、先日助けた亀が現れ、竜宮城へと連れていかれます。そこでタイやヒラメの舞い踊りと乙姫様から接待を受け、瞬く間に3年が経過しました。そろそろ帰ったほうがいいと思った太郎は、乙姫に帰ると告げると、乙姫から絶対に開けてはならない玉手箱を受け取ります。太郎が地上に戻ると、なんと数百年も時が経過しており、太郎は玉手箱を開けお爺さんになってしまいました。

皆さん思い出しましたか?

すごくざっくりした説明ではありますが、大体こんな感じだったかと思います。

この話でミソとなるのは「浜辺」「竜宮城」の二つです。

我々は知らず知らずのうちに、この2つのミソをもとに浦島太郎は「海のお話」だという認識をしています。それもそのはず。

実際、竜宮城は昔から海底に存在すると考えられてきました。

 

『長阿含経*1には「大海水の底に娑竭龍王の宮殿あり」とあり、海の底に龍王の宮殿(=竜宮)があったとされています。

また『海龍王経』*2にも「海龍王、世尊に申して曰く、ただ仏哀れみを諸天龍神無量人に加えて、安寧を致さしめ、大海に至り、わが宮中に詰り屈して(略)」とあるように、竜宮は海の底にあったというのが、仏教的な考え方として存在していたようです。この『海龍王経』には他にも、「海龍王、仏法を聞き、信心歓喜し、以て仏を大海の龍宮に請じ奉らんとし」とあり、仏の教えに感激したというお話も載っているようです。 

 

「竜宮城=海の底」というイメージは、我々だけでなく、古くから存在していたようです。そのため、浦島太郎には常に海のイメージが付きまとうのは自然なことでしょう。

(桐谷さん演じる浦ちゃんが「海の声」を聴きたがるのは自然なことかもしれません)

 

2.長野県の浦島太郎

竜宮城が仏教の経典にも書かれているように、海の底にあるという考え方が古くからあったというお話をしてきました。ここでタイトルを見返すと、このようなことを感じる人もいるのではないでしょうか。

 

長野県って海あったっけ…??

 

このように感じた人は、ちゃんと日本地図が頭に入っています。

「長野県には海があるでしょ」と思った人、それは長崎県なのでもう一度地図を見てください。長野県に海はありません。

 

海がないのに、浦島太郎ってどういうことだよ!?

そう思われた方、今からお話ししますので焦らず焦らず。

 

伝説が伝わる土地は、長野県木曽郡上松町

大相撲の御嶽海関の出身地としても有名です。

ここに「寝覚めの床」と呼ばれる景勝地があります。

ここが伝説の舞台です。

 

山深い木曽川にある大きな岩、床岩とも呼ばれるこの岩の潭底に竜宮への通い路があるという伝説が存在しています(藤沢2019)。

 

そのため、浦島太郎はここから竜宮城へと向かったという伝説もあるそうですが、木曽川から海の底の竜宮城へ行くことができるのでしょうか。

龍は必ずしも海にしかいないわけではなく、池や川にも住むとされるので、川の竜神の宮殿につながっているということなのでしょうか。

少なくとも、ここから竜宮城へ行ったとなれば、浦島太郎が助けたのはウミガメではないような気もしますよね。

 

さて、我々美濃んちゅにとってなじみ深い、寝覚めの床の浦島太郎伝説として有名なお話といえば上記のものよりも下記のものではありませんでしょうか。

 

竜宮城から戻った浦島は、諸国漫遊の旅に出ます。竜宮城でもらった秘宝の一つ飛行の文書で寝覚めの床にやってきました。寝覚めの床を気に入った浦島は魚釣りをしたり、竜宮城の巻物を参考に仙薬をつくって住民に分け与えました。

ふとある時、玉手箱を貰っていたことを思い出し、浦島は玉手箱を開けてしまいました。浦島は老人となり嘆き悲しみ、寝覚めの床から姿を消しました。そして寝覚めの床には人知れず弁才天が残されており、これを祀った。

上松町観光サイトより)

おそらくこれが一番なじみ深い話ではないでしょうか。

この伝説では、寝覚めの床は竜宮城とはまったく関係のない、浦島太郎の後日談という性格が非常に強いものとして存在しています。

 

さて、話は変わりますが、上松町から木曽川沿いの国道19号を南下し、岐阜県中津川市に入りますと、「乙姫大橋」という橋が架かっています。この乙姫大橋のそばに「乙姫岩」という岩が木曽川の中に立っています。

 

乙姫岩に乙姫様が住んでいました。上松町に住む三帰翁(浦島太郎)は釣りが大好きで、亀岩に座って糸を垂らしておりましたら、上流から鉄砲水が押し寄せ、岩もろとも浦島は流されてしまいました。

気絶していた浦島を乙姫様は使者に命じて助けさせ、竜宮に運び手厚く介抱しました。

(ふるさと坂下 参考)

 こんな伝説が中津川に伝わっているようです。

 この伝説では浦島太郎物語の舞台は完全に木曽川であり、竜宮城も木曽川にあるようです。一番最初に紹介した上松の伝説と異なる点は、竜宮城への入り口が上松ではなく中津川(山口)にあるということでしょうか。

 

さて、三帰翁という名前が出てきましたが、こちらは上松町に伝わる伝説の一つで、浦島太郎伝説よりも前から存在していたと考えられており、三帰翁と浦島太郎が次第に混同され、三帰翁が浦島太郎へ同化されていったとされています。

 

中津川に伝わる乙姫岩の伝説も、三帰翁の若いころの名前が浦島太郎であるとされており、両者の同化が進んでいった比較的新しい伝説ではないかと考えられます。

 

おわりに

伝説は伝説、歴史と違いはっきりとその成立を証明することはなかなか難しいと思います。特に私は民俗学者でもなくただのリサーチャーですから。。。

 

ただ木曽川を舞台に、大海にあるとされてきた竜宮伝説が語られていることは、非常に面白いことではないでしょうか。特に中津川に伝わる伝説は、離れた土地の伝説と融合させて伝わっているなど、非常に面白いと思います。

今後も伝説カテゴリーでは、今日のようなざっくばらんな記事を書いてみようかな。と思っておりますので、気になるタイトルを見かけましたら、覗いて行ってみてください!

 

参考文献

藤沢衛彦2019『日本の伝説 中部・東海』河出書房新社

*1:仏教の経典の一つ

*2:仏教の経典の一つ