美濃んちゅの酒場

岐阜を愛する若者が、様々なことを調べたり調べなかったりするブログです。ローカルネタから真面目なネタまでジャンルはゆるめです😁✨✨覗いてみてください。

【愚痴記事】電車で寝るなら上手く寝ろ

タイトルで言いたいこと終了。

寝るなとは言わない。

ただ寝るなら隣に座ってる人間に寄りかかったり、寄りかかるどころか人の膝に侵食してきたりするな。

こっちはえらい迷惑だ。蹴り飛ばすぞ。

わかったかこの野郎。

なんどもなんども倒れてきやがって。

挙げ句の果てには人のスマホ弾いて謝罪もしない。

ふざけやがって!!

 

いや、待て雪丸

そもそも人間であれば他者にたいする迷惑などを考えるはずだ。

他人のスマホ弾いたら何かしら言葉を発するはずだ。

しかしあの女性はなにも言わなかった。

つまりあれは人間じゃない。

あれはサルだ。

サルなんだ。

 

んなわけあるかぁぁぁぁ!!!!

おまえはにんげんだぁぁぁぁ!!!

 

次に電車に乗るときは、他人に迷惑にならないように寝るんだな!!

 

以上!!

 

 

散歩

日曜の昼下がり。本を読んでいたはずが、いつの間にかうたた寝をしていたようだ。

「はぁ」

ため息をひとつついた。日曜の午後になると毎回こうだ。月曜日の足音に耳を傾けてしまう。たまった仕事がのし掛かってくるのを感じる。

結局今日も無駄に休日を過ごしたな…。

再びため息が出る。

カーテンを開けると絵に描いたような青い空が広がっていた。

少し外の空気でも吸ってみようか。

そう思い、家を飛び出した。

 

外は晴れているにも関わらず、暑すぎることのない快適な気温で、吹き交う風は秋の香りを運んでくる。なにも考えずに気ままにどれほど歩いただろう。いつのまにやら私は川沿いに立っていた。

 


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川は空のように青く輝き、鳥が今か今かと風を待ちわびていた。

「ああ、美しい。」

無意識に声が漏れていた。


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目の前に広がる雄大な景色を前に、私は胸がたかぶるのを感じずにはいられなかった。

 

「陽光や 水面に踊る 秋の風」

 

水面はキラキラと輝き、秋風が吹き荒ぶ風景に心が震えるのを感じる。

 

ああ、こんな美しい光景を眺めることができて、いい休日だった。

風に吹かれながら、私は家を出る前に感じていた憂いが吹き飛ぶのを感じた。

空には鳥が羽ばたいていた。

俺「ん?揺れてる??」

俺「ん?揺れてるな。地震か???」

心の中の俺「いや、ハンモックに揺られてるから揺れてるだけだな」

本棚「カタカタカタ」

俺「やっぱり揺れてない??」

心の中の俺「いや、多分ポルターガイストだろう。大丈夫だ」

物干し竿「ゆらゆーら」

俺「やっぱ地震じゃね?」

心の中の俺「Twitterみてみるか」

Twitter「揺れた!」

俺「やっぱ地震じゃん」

心の中の俺「いやぁぁぁぁあっぁぁ!!!地震恐いよぉぉぉぉぉぃ!!!」

鶏肉の読み方

突然ですが、皆さんは【鶏肉】をなんと読みますか?

 

私がまだ愛知県のとある公立大学で大学生をしていたときのこと。とはいっても実家のある東濃から通っていたため、愛知県民がマジョリティである大学集団のなかで、本質的に私は異質者であった。

「県民性」という言葉が一時期流行ったのを覚えている人もいるかもしれない。集団を何らかのカテゴリーで囲むことは、日本人なら誰しもがやりがちなことであり、歴史的にもそうであった。かつては県よりももっと細かな「律令国」単位で、国民性を説明しようとしたものもいる。

偶然同じ県に生まれ育った者同士が、全て同じような性格になるということは当然あり得ない。しかし、県単位で教育内容も異なっているため、精神世界において県民が共有するナニかがあっても不思議ではない。

話がそれたが、愛知県民がマジョリティの集団のなかで、岐阜県民、殊に東濃の中でも恵那市の山で育った私は、常日頃から県民性というか文化の違いというものを意識していた。それは日常のほんの些細なことが多数を占め、そのうちの1つが「鶏肉」であった。

 

「鶏肉」は文字通りニワトリの肉であり、燕の肉でもなければ鴨の肉でもない。日常的に食される食肉の代表格といっても過言ではない。

ある日、料理屋で「唐揚げ」を誰かが頼んでいた。その流れでモモ肉とむね肉の話になった。鶏肉は好みが別れるが、モモ肉の方が個人的には好みであるため、そのようなことを言ったのだが、その時同席したいた人の顔が僅かに曇った。そして言われた一言が、

「ケイニクってなに?w」。

 

わたしは脳内にクエスチョンマークが浮かんだ。鶏肉は鶏肉だ。鶏の肉だよ、そう伝えた。すると「トリニクのことをケイニクっていうのね~」という言葉がかえってきた。

いやいや、鶏肉はトリニクの1つだけど、トリニクは鶏肉じゃないんだ。私がそう伝えると彼らは不思議そうな顔をしながらバカにしたような顔で笑っていた。

 

私はニワトリの肉を「ケイニク」と呼んで育ってきた。当然「トリニク」という呼称でニワトリの肉を呼ぶことも知っていたが、あくまでも鳥類の肉の総称として「トリニク」と呼ぶのであって、ニワトリの肉のみを指す人々がいることを初めてしった。

それどころか「ケイニク」という呼び方が通じない文化圏の人がいることを初めてしった。いや、もしかしたらケイニクと呼ぶのは我が家だけなのかもしれない。

私は言い知れない不安を感じた。

そこで、当時私が使っていたTwitterアカウントでアンケートをとってみた。その結果がこれだ。

恵那市あるある on Twitter: "鶏肉を皆さんはなんて読みますか?"

トリニク派が多かった。しかしケイニク派も少数ではあるが存在していることがわかった。

恵那市では元々野生鳥類を食べる文化が存在していたため、野生鳥類と区別するつもりでケイニクという呼称を使ったと考える人もいるが、私は言語学者じゃないのでわからない。

ただ1つだけはっきりしているのは、愛知県民には「岐阜県民を田舎者とバカにする県民性※」があるということだろう。

※あくまでも筆者の悔しい思い出による偏見

大都会岐阜市

岐阜市ときくと、県外の人間は「田舎」と思うかもしれない。いや、県内の人間ですら、一定数そう感じているかもしれない。

実際、私が東濃にまだ居していた頃、岐阜市に訪れることはほとんどなかった(学生時代にようやく研究資料採集のために訪れるようになったが)。

岐阜市がこれほどまでに田舎だと思われているのはいったいなぜであろうか。

1つは岐阜という知名度の低さ、1つは「岐阜=飛騨高山」という県外の人間のイメージ、そして名古屋に近接する地理的背景、これらが大きな理由であると思われる。

この場で深く上記の理由を掘り下げることはしないが、岐阜県民が思っているよりも岐阜県の認知度は県外、殊に関東や九州で低いことは経験則上お伝えしておこう。

さて、そんな田舎イメージの先行する岐阜市だが、岐阜駅前だけ見れば大都会である。


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近年は玉宮地区が若者の集まる街となっているし、柳ケ瀬商店街はいわずもがなである。

こじゃれた喫茶店や飲み屋の数や質では、名古屋に優るとも劣らない。

そんな大都市岐阜市に一度は遊びに来てほしい。

 

右目を負傷しました

先日、ちょっとした不注意で右目を負傷しました。

今思えば、このときすぐにでも病院に行っていればよかったな…と後悔しております。

怪我をしたあと、市販の目薬をさして仕事をしていると、右目に明らかな違和感を感じました。

 

「すごく視にくい」

 

右目の視力が明らかに落ちている気がしました。しかし、仕事も忙しく気のせいかもしれないとその日は放置していました。

 

次の日もスケジュールがパンパンで朝から晩まで仕事をしていました。

が、やはり右目に違和感を感じました。

右目だけ視にくいし、異物感もありました。

結局、病院にいったのは怪我をしてから2日たってからでした。

 

結論だけいうと、右眼球にかなりの傷がついており、その影響で視力が落ちていました。

はやく病院に行っていればもう少し酷くなる前に対処できたかもしれません。

皆さんも些細な怪我でも、ちゃんと病院にいってくださいね。じゃないと後悔します。

 

無駄に過ごした休日の夕方は憂鬱

4連休最終日。

私は何をするでもなく、グータラと過ごしていましたらすっかり夕方に。

明日の朝からは再び仕事の毎日。

この4連休は旅行こそしていないものの、古い友人たちに出会えた貴重な日々でした。今日以外は。

 

今日は完全に無駄に過ごしてしまった。

今ものすごく後悔している。

でもこれもまた人生。

長い人生において、無駄に過ごした日が1日くらいあってもいいだろう。

 

いや、1日どころか結構あるわ。

やばいやばい。

明日突然死んだら俺は絶対後悔する。

今から本を読もう。

まだ寝るまで6時間ある。

今から取り返すぞ!!